日本の政治家である高市早苗さん。
総裁選に出馬されると噂が飛び交っています。
そんな高市早苗さんですが、どんな人なのでしょうか?気になりますよね?
そこで今回は、
- 高市早苗はどんな人?
- 若い頃の秘蔵画像から驚きの事実を発見!
主にこの2つについて迫ってみたいと思います。
ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速本題に入っていきましょう!
高市早苗はどんな人?
日本の政界で知られる実力派の政治家です。
高市早苗さんの現在の姿からは想像しにくいかもしれませんが、若い頃の彼女はどんな人だったのでしょうか?
高市早苗さんのプロフィールから、幼少期や大学時代のエピソード、さらにはアメリカでの経験やキャスター時代に至るまで、高市早苗さんの人物像を深掘りしていきたいと思います。
高市早苗のプロフィール
まずは、高市早苗さんの基本プロフィールから見ていきましょう。
- 1961年(昭和36年)3月7日生まれ
- 奈良県立畝傍高校卒業
- 神戸大学経営学部経営学科卒業(経営数学専攻)
- (財)松下政経塾卒塾
- 米国連邦議会Congressional Fellow(金融・ビジネス)
- 近畿大学経済学部教授(産業政策論・中小企業論)
現職
- 経済安全保障担当大臣
- 内閣府特命担当大臣(知的財産戦略・科学技術政策・宇宙政策・経済安全保障)
- 中央防災会議委員
- 自由民主党 奈良県第2選挙区支部 支部長
- 自由民主党所属の衆議院議員(9期)
内閣 役職歴
- 通商産業政務次官
- 経済産業副大臣(3回任命)
- 内閣府特命担当大臣(4回任命)
- 総務大臣(5回任命:史上最長在職期間を記録)
国会 主要役職歴
- 衆議院 文部科学委員長
- 衆議院 憲法調査会小委員長
- 裁判官訴追委員
- 衆議院 議院運営委員長
高市早苗が掲げる6つの理念
1、「大切なものを守り抜ける国」を創る
2、「今を生きる日本人と次世代への責任」を果たす
3、全世代の安心感創出に繋がる「強靭な経済」を創る
4、「機会平等」を保障する制度設計に挑戦する
5、「自立と勤勉の倫理」が重んじられる「公正な社会」を創る
6、国家の基本である「教育」を充実させる
高市早苗さんは、信念と実行力で有名です。
「ブレない」人として知られいます。
若い頃の秘蔵画像から驚きの事実を発見!
最も女性初の「総理の椅子」に近い人と期待されている高市早苗さん。
今年(2024年)の秋の総裁選に出馬されることで、話題が持ちきりです。
幼少期から大学時代までのエピソード
高市さんは奈良県奈良市で生まれ育ち、共働きの家庭で育ちました。
父親はトヨタ系列の自動車会社に勤務し、母親は奈良県警察で働いていました。
幼少期は内向的な性格だったようですが、小学3年生で橿原市立畝傍南小学校に転校したのを機に、活発な性格に変わったとされています。
幼少のころは内向的でした。小学校3年生で転校したことを契機に、少しだけ活発に振舞えるようになりました。両親が共働きだったため、6歳下の弟の面倒をみるのに追われていましたが、おかげで今でも乳幼児の扱いは上手です。学生時代は、阪神タイガースの応援、バンド活動(ヘビメタ・バンドでドラムスを担当)、バイク(愛車はZ400GP)で走り回ることに熱中していました。
出典:私のカクゴ
大学時代、高市早苗さんは神戸大学経営学部で学び、軽音楽部に所属し、ヘヴィメタルバンドでドラムを担当していました。
バイクに乗り回したりしており、これまでもっとも長期間(3台は買い替えながら)乗った車種は、Kawasaki Z400GPだそうで、黒色ボディと金色ホイールにこだわっていたそうです。又、SUZUKI GSX400S KATANAにも乗っていたそうです。
この写真は、29歳ごろのもとのことです。
大学4年(1984年)の夏、初めてお目にかかった松下幸之助氏の眼光の鋭さに圧倒され、すでに内定していた就職先を断り、松下政経塾に進みました。
この時も「夢があって、いいじゃない」とご両親は応援して後押しをしてくれていたそうです。
24歳の春(1985年)に松下幸之助氏から、1990年以降に起こり得る大きな変化(安全保障の枠組み、産業構造、日本経済等)についての予測を伺い、政策的な備えの必要性を痛感し、国政の場で働くことを決意したそうです。
阪神タイガースを応援したり、スキューバーダイビングに挑戦するなど、非常にアクティブな学生生活を送っていました。
また、講演会やインタビューを通じて、自身の学生時代の思い出や経験についても語っています。
アメリカでの経験とキャスター時代
1987年から1989年にかけて、高市さんは米国でCongressional Fellowとして勤務し、米民主党下院議員のパトリシア・シュローダー氏の事務所で働いていました。
この経験は、高市早苗さんの国際的な視野を広げ、後の政治活動に大きな影響を与えました。
1985年7月から1989年1月まで9代目アメリカ合衆国通商代表を務めたヤイター・USTR元代表と対談など。
また、1989年から1990年にかけて、テレビ朝日の『こだわりTV PRE★STAGE』でキャスターを務め、蓮舫さんと共演していました。
その後、フジテレビ系列の朝の情報番組『朝だ!どうなる?』のメインキャスターとしても活躍しました。
政界
1992年(平成4年)、参議院選挙に無所属で立候補、初出馬しましたが、大差で落選されました。
1993年(平成5年)に第40回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し、得票数トップで初当選。
故・安倍晋三元首相が語る高市早苗
安倍晋三元首相は、高市早苗さんについて「真面目で勉強熱心なうえ、胆力もある」と評価しており、高市早苗さんが、先の自民党総裁選に出馬する際には、安倍元首相の推薦を受けており、信頼関係が深かったことが伺えました。
2024年の【自民総裁選】に出馬を表明されました。
わが国初の女性首相が誕生するとしたらだれが一番ふさわしいかを調査した。その結果、高市早苗経済安全保障担当相が42.7%でトップだった。上川陽子外相が16.2%、立憲民主党の蓮舫参院議員が3.8%と続いた。高市氏は自民支持層で過半数を占め、公明、日本維新の会、国民民主支持層などでもトップだった。
出典:産経新聞
高市早苗さんは現在、自民党の有力な政治家として、日本の経済安全保障や技術政策の推進に取り組んでいます。
特に、サイバーセキュリティや知的財産戦略に力を入れており、国民の安全と日本の国際競争力を高めるための政策を推進しています。
また、女性初の総理大臣を目指す動きが今話題になっています。
信念と実行力で「ブレない」人としてこれからも突き進んでほしいと思います。
まとめ
今回は、高市早苗さんはどんな人なのか?
若い頃のエピソードや秘蔵画像を通じて、高市早苗さんがいかに多才で多面的な人間性に迫ってみました。
お嬢様というより少しヤンキーよりの過去には驚きました。
バイクを乗り回し、ドッドッドッと鳴り響くと、高市早苗さんだとすぐに分かったと近所の人に言われるほど有名で、お母さんが自慢の娘だと言っていたという話も驚きの事実だったと思います。
政治の世界にいく時も「夢があって、いいじゃない」と応援してくれるご両親があってこその人柄だと思いました。
高市早苗さんの過去を知ることで、現在の高市早苗さんの政治姿勢や行動力の背景にあるものを理解にお役に立てたら良いと思います。
これからも、日本の未来を担う高市早苗さんのさらなる活躍に注目していきたいと思います。
ありがとうございました!
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