【占拠シリーズ考察・ネタバレ】櫻井翔が演じた武蔵三郎の闇は正義か悪か?「俺たちが救ったんだ」のセリフに込められた想いとは!

アイドルグループ「嵐」のメンバーとしてデビューし、現在は俳優やキャスターとしても活躍する櫻井翔さん。

そんな櫻井翔さんが、日本テレビ系ドラマ「占拠シリーズ」三部作に登場する刑事・武蔵三郎を演じて話題になっています。

3作目の『放送局占拠』の第1話に出てきたセリフ「俺たちが救ったんだ」や、武蔵自身が抱える「闇」に注目が集まっています。

そこで今回は

  • 武蔵の闇の起点 ― ガソリンスタンド事件【大病院占拠】
  • 伊吹を鬼に変えた ― 鎌鼬事件【放送局占拠】
  • 繰り返される構造 ― バスジャック事件と放送局占拠【放送局占拠】
  • 武蔵家に流れる“正義の因果”【新空港占拠】
  • 「二重結果の原理」と武蔵の闇 【占拠シリーズ】

主にこの5つについて考えたいと思います。

ぜひ最後まで読んでいってください。

さっそく本題に行ってみましょう!

目次

武蔵の闇の起点 ― ガソリンスタンド事件【大病院占拠】

出典:日テレ

1. ガソリンスタンド事件

出典:X

武蔵三郎(櫻井翔さん)は常に「人質を全員救う」ことにこだわり続け、どんな極限の状況でも諦めない不屈の警察官として描かれてきました。

しかし視聴者の間で繰り返し語られるのは「武蔵の闇」

それは彼の中にある正義への執着と犠牲の矛盾、そして「善か悪か」を揺さぶるジレンマです。

その原点は、過去の「ガソリンスタンド立てこもり事件」。

大病院占拠』の冒頭で、ガソリンスタンドで立てこもり事件が発生。人質に凶器を突きつける犯人を前に、武蔵は「今すぐ対応しなければ人質が危ない」と判断し、突入を決断しました。

その結果、犯人は死亡

しかもその犯人は――青鬼・大和耕一(菊池風磨)の養父。大和の妹の死の真相を暴こうとしていた人物でした。

人質を救った」一方で「真相を闇に葬った」結果となり、大和耕一に変えてしまったのです。

この事件こそが、シリーズ全体に連なる武蔵の闇の始まりでした。

伊吹を鬼に変えた ― 鎌鼬事件【放送局占拠】

出典:日テレ
出典:X

2. 伊吹を鬼に変えた ― 鎌鼬事件

出典:Instagram

もうひとつ、忘れてはならないのが「鎌鼬事件」。

この事件こそが、伊吹裕志(加藤清史郎さん)を“鬼”に変えた決定的なきっかけでした。

2020年1月14日、桜咲海浜公園で「神津風花(花田優里音さん)」が鎌を両手に持ち錯乱状態で歩いているところを発見され、彼女は「鎌鼬事件」の犯人として逮捕されました。

事件の被害者は白石純恋(彩香さん)と安室光流(山本直寛さん)。

しかし真相は別にありました。

安室は警備部長・屋代圭吾の不正を追っていた記者で、屋代が彼を誤って殺害。死体処理を“のっぺらぼう”に依頼したことが事件の発端です。

遺体を運んでいた“のっぺらぼう”こと間崎菖蒲(北村優衣さん)と実篤(谷川昭一朗さん)を、偶然通りかかった神津風花白石純恋が目撃。

口封じのために純恋はその場で鎌で殺され、風花は違法薬物を投与され、鎌を持たされて錯乱状態に。結果として「二人を殺した犯人」に仕立て上げられたのです

しかも、風花は容疑を否認したまま拘置所で自殺。

しかしその死も「自殺ではなく殺されたのでは?」という説が視聴者の間で根強く語られています。

この時、武蔵は現場で風花を現行犯逮捕していました。

伊吹風花を信じていただけに、武蔵への恨みは決定的なものになります。

のちに青鬼から「鎌鼬事件の真相を知りたくないか」と呼び出され、伊吹は疑念を抱きながらも足を運ぶ。

その背景には、恋人・風花武蔵に奪われたという深い慟哭があったのです。

繰り返される構造 ― バスジャック事件と放送局占拠【放送局占拠】

出典:X

3. 繰り返される構造 ― バスジャック事件と放送局占拠

放送局占拠』第1話で描かれたバスジャック事件

爆弾の起動スイッチを手にした犯人・八丈(原西孝幸さん)は、バスの乗客を人質に「爆発させるぞ」と脅迫します。

武蔵は同行していた伊吹に「交渉で合図をしたら肩を撃て」と指示。

伊吹の狙撃で犯人はスイッチを落としますが、逆上した犯人はスイッチを拾い起動させ、自爆してしまいます。

人質は全員救われました。

その時、武蔵伊吹に向かって言います。

「俺たちが救ったんだ」

しかし伊吹の表情は虚無に包まれており、手が震えていました。

「人質を救うために犯人を犠牲にする」という構造が、ここでも繰り返されたのです。

「本当に救ったのか?」

この問いが空気を支配していました。

武蔵家に流れる“正義の因果”【新空港占拠】

出典:日テレ

4. 武蔵家に流れる“正義の因果”

占拠シリーズでは、主人公の 武蔵三郎(櫻井翔さん) だけでなく、武蔵家そのものが「正義と闇の二面性」を背負っていることが描かれています。

まず、『新空港占拠』で30年前に失踪したとされる兄の 武蔵健一(本多遼さん)が実は初代山猫北見の不正を告発しようとした際に北見に撲殺されていた事が判明しました。。

彼は横浜市役所の職員で、初代山猫北見の不正を告発しようとしていました。しかし同時に、弟・三郎の養育費300万円を条件に「不正を見逃す」という妥協もしていたのです。

つまり、健一は「正義を信じる心」と「生活のための妥協」という矛盾を抱え、その果てに命を落とした存在でした。

そして、姉の 武蔵二葉(奥貫薫さん)。

彼女は神奈川県議会議員という立場にありながら、裏では“二代目山猫”として利権を受け継ぎ、権力のために闇と手を結んでいた人物です。表の顔は政治家としての「大多数のための正義」。しかし裏では不正にまみれた選択をし続けて兄の死の真相さえも隠蔽してしまった――これもまた「正義と闇の表裏一体」を象徴しています。

そして、弟の 武蔵三郎(櫻井翔さん)。

彼は「人質を必ず救う」という絶対的な正義を掲げ続ける一方で、その過程で犯人を死なせたり、真相を闇に葬ったりと、犠牲を生み出してしまう矛盾を背負っています。

この三人を並べてみると――

  • 武蔵三郎:現場の正義(人質を救うために誰かを犠牲にする)
  • 妻・武蔵裕子:医療の正義(命を救うが、すべてを救えない葛藤)
  • 姉・武蔵二葉:政治の正義(大多数のために少数を切り捨てる決断)
  • 兄・武蔵健一:不正を告発しようとしつつ、三郎の養育費300万と引き換えに告発を諦めた矛盾

つまり武蔵家そのものが「正義と犠牲の表裏一体」を体現しているのです。

「二重結果の原理」と武蔵の闇 【占拠シリーズ】

出典:Instagram「正義と犠牲――三人の選択が交錯する」

5. 「二重結果の原理」と武蔵の闇

倫理学には「二重結果の原理」という考え方があります。

これは行為自体は善であっても、その副作用として悪が生じることは許されるのか?」という問題です。

武蔵三郎は常に“人質を救う”という善を目指してきました。

しかしその結果、犯人が死ぬ、真相が葬られる――といった悪が必ず伴ってしまう。

つまり武蔵の選択は、正義であると同時に犠牲を前提にした“悲劇の選択”なのです。

そしてこの構図は、青鬼の理想伊吹の慟哭と表裏をなしています。

青鬼は「犠牲を出さない正義」を掲げ、伊吹は「救えなかった者の声」に苦しむ。

放送局占拠』こ第6話での伊吹との対峙でも、武蔵が「お前の気持ちはわかる」と語ると、伊吹は「何もわかっていない」と拒絶

武蔵の“人質優先”の正義が、またもや誰かを犠牲にしてしまう構図を示していました。

さらにシリーズを通じて重要なのが、青鬼伊吹の間に生じた“亀裂”です。

伊吹は、“のっぺらぼう”のように、人の命を遊び感覚で奪う存在を「生かすのか?価値があるのか?」という問いに対して、青鬼は「絶対に人を殺してはいけません」と断言しました。

彼の使命は「闇を世間に公にする事」であり、殺すことではなかったのです。

しかし、のっぺらぼう”は実際には銃殺され、焼死体として発見される。

伊吹武蔵に残した「全ての手がかりを与えた」という言葉を踏まえると、この焼死体こそが伊吹自身の手によるもの=復讐の産物だった可能性も浮かび上がります。

ここで生まれるのは、復讐者と正義の告発者の境界線はどこにあるのかという問い

青鬼が掲げた「鬼の遺伝子」は、果たして正義を守り抜いたのか、それとも単なる復讐心へと堕ちてしまったのか。

占拠シリーズらしい“二重構造”が、視聴者を強烈に揺さぶってくるのです。

ここで思い出されるのが哲学の有名な思考実験「トロッコ問題」です。

「トロッコ問題」

線路の先に5人が縛られている

レバーを切り替えれば1人がいる線路に進み、5人は救われる。

あなたはレバーを切り替えるか?

多くの人は「5人を救うために1人を犠牲にする」と答えるでしょう。

しかし、もしその1人が自分の大切な人だったら――?

ほとんどの人は「5人よりも大切な1人を助けたい」と願うはずです。

それこそが「武蔵の闇」=人間の闇の本質です。

  • 犯罪者を犠牲にするなら、多くの人は肯定できる
  • けれど、その犠牲が「無実の人」「ただの一般人」だったら?
  • あるいは「大事な人」だったら?

一気に「正義」が「闇」に変わるんですよね。

武蔵はずっと「大多数を救う」選択をしてきました。

しかしその裏には必ず「切り捨てられた誰か(何か)」がいます。

それが青鬼大和耕一(菊池風磨さんの家族であり、伊吹裕志の恋人であり、そして私たち誰もがが想像してしまう「もし自分の大事な人だったら?」という問いです。

だからこそ誰も武蔵を責めきれないし、青鬼伊吹の憎しみも理解できるのです。

つまり――

犠牲が“遠い誰か”なら正義。

犠牲が“大事な人”なら悪。

この境界線こそ、占拠シリーズが突きつけてくる最大のジレンマであり、武蔵「闇」なのです。

まとめ

占拠シリーズは単なるサスペンスではなく、

「正義とは何か」「犠牲は許されるのか」 を突きつける作品です。

武蔵の闇は、特別な人間のものではなく、私たち全員が直面する人間の闇そのもの。

だからこそ、彼の「俺たちが救ったんだ」というセリフに、私たちは危うさと同時に共感を覚えるのです。

シリーズの終盤、武蔵がどんな答えにたどり着くのか――。

それは同時に、私たち自身がこのジレンマにどう向き合うのか、という問いでもあります。

あなたなら――「多くを救うために、大事な人を犠牲にする」決断ができますか?

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